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大峯奥駆道縦走 – 1日目 吉野から山上ケ岳(1719m)へ

大峯奥駆道リベンジ

7月中旬、ようやく念願叶い吉野~熊野本宮間の大峯奥駆道を歩くことができました。当初4泊5日の想定でしたが、3日目予定の避難小屋まで辿り着けずに日没、真っ暗な山道をひとりヘッドライトの灯りを頼りに歩き続けてましたが、早朝から歩くこと15時間、ライトの灯りのみではとうとうルート判断が出来なくなり、道迷い遭難を避けるため山中ビバーク、6日目にしてようやく熊野本宮の階段を登ることができました。

途中、熊の足跡を見てしまったり、鹿の鳴き声がこだまする真っ暗な山中で心細くテント設営したり、2日間山中で誰とも出会わず、会話もなく、心折れそうになることもありました。あの頂へ登ったら次の目的地かと思いきや、また下り、また登りの連続・・・、次の目的地には裏切られぱなしでしたが、ある意味人生とよく似た修行のような旅だったのかもしれません。いや、ここは修験の道ということだけあって肉体的にも精神的にも限界を試すまさに修行の道だと実感しました。

人との繋がりの大切さ、水の大切さなど、いろんなことを学ばせて貰えた貴重な6日間でした。初日の大雨以外は概ね天候にも恵まれ、何よりこの行程を歩かせて貰えたこの健康があることに感謝し熊野本宮を後にしました。

大峯奥駆ルートマップ 吉野・金峯山寺から熊野本宮までおおよそ110km、更に那智大社、新宮の速玉大社の熊野三山を巡るとその距離は170kmに及びます。

熊野古道概略

古代から中世にかけ、本宮・新宮・那智の熊野三山の信仰が高まり、上皇・女院から庶民にいたるまで、多くの人々が熊野を参詣しました。「蟻の熊野詣」と例えられるほど、多くの人々が切れ目なく熊野に参詣したと伝えられています。熊野古道には主に下記の6つのルートがあり、その内4つのルートが2004年、紀伊山地の霊場と参詣道としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。巡礼路としての道が世界遺産に登録されているのは世界に2つしかありません。ここ熊野古道とフランスからスペインへ続く、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路のみとなります。

紀伊路(大阪~田辺)
中辺路(田辺~熊野三山)世界文化遺産
大辺路(田辺~串本~熊野三山)
小辺路(高野山~熊野三山)世界文化遺産
伊勢路(伊勢神宮~熊野三山)世界文化遺産
大峯奥駆道(吉野~大峯山系~熊野三山)世界文化遺産

下記に地理的概要、歴史的概要を記しておりますが、紀伊路、中辺路、大辺路、小辺路、伊勢路は巡礼のため人々や物資の往来を目的としてますが、大峯奥駆道は修験道の開祖である役行者によって1300年前に開かれた修行の道であり、プロの修験者のための山岳修行の場であり、一般の旅人がたどる道ではないと、ガイドブックにはあります。

大峯奥駆道 地理的概略

大峯の連山は、紀伊半島の中央部北から南へ走り、近畿の屋根・大和アルプスなどと称される。北から大天井岳(1438m)、山上ケ岳(1719m)、大普賢岳(1780m)、弥山(1895m)、八経ケ岳(1915m)、孔雀岳(1779m)、釈迦ケ岳(1799M)、大日岳(1568m)、など1200~2000mの急峻な山岳が連なっている。大峯奥駆道は、この大峯山脈の主稜線を通り、吉野と熊野の二大霊地を結ぶ170kmにも及ぶ山岳道で、修験道の開祖役行者によって開かれた最高にして最大の修験道根本道場が大峯山脈であり、ここを中心にわが国固有の信仰である修験道は1300年の歴史と文化を脈々と現代に伝えている。奥駆道は、一般の登山道ではなく、修験道の厳しい峯入り修行のための信仰の道であるために、修験教団や民間の講並びに地元の人々などによって古代から山岳道として維持保存されてきたものと推定される。

奥駆道には、大峯七十五靡と呼ばれる霊地や行場が遺跡として各所に残り、また、霊地や行場の祠や諸仏尊像が良好な状態で保存、管理されている。なお、大峯山系を中心とした山岳地帯は、昭和7年(1932年)に指定された吉野熊野国立公園に含まれ、雄大な自然を求めて訪れる登山者もいる。

大峯奥駆道 歴史的概略

修験道の開祖とされる役小角(えんのおずね)。尊称して役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれ、飛鳥時代後期(634~701)も葛城山麓に住した山岳修行者である。その役行者が修験道の根本道場と定めたのが大峯であり、役行者によって開かれたのが大峯奥駆道である。奈良時代(710~784)には、吉野の比蘇寺(吉野寺)では、自然智宗とよばれる山岳修行が形成されていた。平安時代(794~1185)初頭には熊野から金峯山にいたる大峯の山中を行く修行が盛んになり、峯中には数多くの靡を称される行場を中心に大峯修行が行われるようになった。

靡とは役行者が法力に草木もなびいたという意味を持つ山中の行場などを指し、修験道に関わる神仏の出現の地、あるいは居所とされている。大峯修行の成立時、山中には100~120の行場や霊地が定められていたが、その後七十五靡としてまとめられた。やがて、順峯(熊野から吉野)による修行が少なくなり、多くは吉野から熊野に入るコース(逆峯)を採るようになった。いわゆる山上詣では庶民の間にまで広がり一般化した。そこで、より厳しい大峯修行は山上ケ岳より更に奥に入って修行するところから「奥通り」と称され、今日では大峯奥駆道修行と呼ばれるようになった。

大峯奥駆道縦走 1日目(7月14日) 吉野駅230m~山上ケ岳・桜本坊宿坊1700m

5月連休に大峯奥駆チャレンジしましたが体調悪く2日目に早くも下山。それからは20kを超える荷物を背負い、足にウエイトを巻いて家の裏山の天王山を上り下りするトレーニングを重ね万全とまではいかないまでも、行けるところまで行こうと思い再挑戦となりました。ここは1日目の宿坊、2日目の山小屋に併設されたテント場を過ぎると後は人がいる山小屋はなく、宿泊はテントもしくは非難小屋となり、全ての食糧を担ぎ、水は途中で調達せねばなりません。携帯もほとんど圏外となり、自分だけが頼りのまさに修行を地で行く縦走となりました。

1日目は標高230mの吉野駅から1700mの山上ケ岳宿坊まで約25キロの登り。歩きだしたら早速雨、結局は雨は夕方近くまで降り続きました。5年前に同じ区間を歩いた時は10時間で到着しましたが、今回は12時間半もかかってしまった。22㌔の荷物と雨のせいもあるけど50を過ぎてからの5年間でかなり体力が落ちてしまったことを実感。まずは1日目の写真をアップします。今後も2日目~6日目と順次アップしていきますのでよろしければお楽しみください。

旅の出発点 近鉄吉野駅

金峯山寺(世界遺産) 修験道にとって最も重要な聖地のひとつ 大峯奥駆はここから始まる

だらにすけ (陀羅尼助)のお店、大峰山 の開祖「役行者」がその製法を教え伝えたと言われる千三百年の歴史を持つ胃腸薬。大きなかえるは謎?

吉野の街並みを抜け、いよいよ山岳路へ

熊野古道に多くみられる石仏、旅の安全を見守ってくれている。

霧雨の森、神秘的な雰囲気が漂う

降り続いた雨が止み、霧の森に差し込む太陽光

女人結界門 この先女性は立ち入ることはできません。現在の日本にも僅かですがこのような場所が存在します。

吉野から雨の中を13時間、ようやく大峯山の宿坊・桜本坊へ辿り着く。雨上がりの雲海、素晴らしい光景。

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